お酒のあるライフスタイル

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no.20 キリン(Kirin)

 

本日はビール国内売上ランキング2位キリンホールディングスについて

アサヒと比べ易くするために①歴史②理念③ブランドに分けて見ていきます。

 

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①歴史

1885年7月、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(キリンビールの前身)は、スプリングバレー・ブルワリーの跡地に海外資本で設立。投資したのはビール事業が将来有望であると見込んだ横浜山手の在留外国人達。さらにジャパン・ブルワリーの重役トーマス・ブレーク・グラバーの尽力で、岩崎彌之助(三菱社社長)をはじめ日本人9人も株主として参加しました。

1888年5月、東洋の霊獣“麒麟をラベルに採用し「キリンビール」を発売。

1907年2月23日、麒麟麦酒株式会社創立。背景として大日本麦酒株式会社が設立され業界の70%のシェアを持つ会社になったことからジャパン・ブルワリー・カンパニーは圧力をかけられ、合同を提案されます。チェアマン兼専務取締役フランク・スコット・ジェームズは明治屋(キリンビールの営業店のようなもの)社長の米井源治郎に相談。その結果、米井はジャパン・ブルワリーを操業状態のまま引き継いで新会社を設立することを決意。キリンは三菱・外国資本、大日本麦酒株式会社は三井資本であったことが大きく影響したと考えられます。

1947年には「過度経済力集中排除法」が制定され、大企業の分割を進めるべく麒麟麦酒も同法の指定を受けましたが、米国の対日政策方針が転換したことで当社を含むほとんどの会社が分割を回避。大日本麦酒株式会社はアサヒとサッポロに分割。

1950年6月、朝鮮戦争勃発による特需景気で増大な売上を記録。

1954年、「キリンビール」は年間庫出量でトップシェアを獲得。

1963年、自動販売サービス株式会社(現・キリンビバレッジ株式会社)を設立。清涼飲料事業の充実を図る。

1972年、キリン・シーグラム株式会社(現・キリンディスティラリー株式会社)を設立して洋酒事業に参入。

1987年、アサヒビールから発売された「スーパードライ」が大ヒット。当社の市場シェアは大きく低下し、ビール事業戦略の見直しが急務となります。そこで麒麟は「キリンビール」の個性を明確にするため、名称を「キリンラガービール」に変更。嗜好の多様化に対応していきます。

1990年、「キリン一番搾り生ビール」を発売。一番搾り」は、初年度の販売量が過去の記録を塗り替える大ヒット商品になりました。

 

②理念

「飲みもの」を進化させることで「みんなの日常」を新しくしていく。目標は「日本を一番元気にする、飲料のリーディングカンパニーになる。」です。

 

③ブランド

キリン一番搾り

一番搾りとは、ビール製造時に原料のもろみの自重だけで自然に流れだしてくる麦汁のこと。キリン一番搾り生ビールは、この一番搾り麦汁のみを使用しており、二番搾り麦汁を一切使用していません。この拘りによって渋みが少なく、さっぱりとしたビールが製造できると言われています。

 

 個人的な感想としてキリンはアサヒに比べると

保守的なのかなと、ブランディングや企画を見ていると競合の後手を取っているように見えますね。また、資本が三菱・外資系ということもあり裏での力が大きく働いているのではないかと勝手な偏見です(笑)

 

次回は「no.21 サントリー(Suntory)」です。お楽しみに^^

 

アレクサンダー(Alexander)

Recipe

ブランデー/カカオリキュール/生クリーム